PTAS-300初心者の購入体験談(その後の様子編)
こんにちは!
WEBライターをやりながら天職を追求する主婦、ドラタケちゃんです♪
書くことが好きで、ブログで執筆練習をしております。
さて!
アルトサックスを買って独学で練習してから、2ヶ月が経過しました。
購入した頃のドキドキした気持ち・・・懐かしい♪
先に結果を申しますと、今のところ楽器の問題はありません!
後から聞いた情報ですが、海外製の安価楽器はサックスのパーツが雑な感じで「指をケガする」なんてこともあるようです。
でも、改めて見てもそんな雑には見えませんよ。
とにかく、練習しながら様々な運指で指を動かしますが、痛いなんてことは無いです!
当然ですが、自分の持ち方や姿勢など、まだまだ慣れないこともあって「小指がつりそう」になります(笑)←今では親切な先生方が、WEBで色々伝授して下さっています。
【見た目】
まだ2ヶ月ということもあり、今のところ使用後は丁寧にお手入れしているので、ピカピカです♪
楽団の練習では、合奏で打楽器をやっているので、個人練習はほんのわずかな合間。
片づけは、ほぼ5分くらいの時間で済まさないといけないので、もう帰宅してからゆっくり磨いています。
特に気を付けているのはキーの部分。
彫刻のあるベルの部分も磨きますが、キーの周辺はどうしても「唾漏れのあと」が残るんですよねー;←お下品でごめんなさい
吹奏仲間の木管奏者に尋ねると、意外にもキーやキータンポまで毎回細かくお手入れしているわけでは無いようです。
でも、それはきっと長い経験で上手に楽器を吹くことができるから?
私の場合は、最初はクリーニングペーパーをマメに使って、3回に1回くらいはパウダーペーパーを使っていますよ。
(特にキータンポがくっついている場合は、クリーニングペーパーのあとに必ずクリーニングペーパーも使います)
楽器初心者あるあるがありますからね。
以前、音が鳴らないと慌てて購入先に問い合わせたら、ただキータンポがくっついていただけでした(笑)
【音】
やっぱり気になるところは色々あります。
購入体験談の吹奏編で記載したとおり、今でも一番低い音は横にベターっと広がる感じで、真ん中の音くらいで急にソフトに曇ったような音色になって、高い音の一部はキレイな音に聞こえたり・・・。
でもでも、楽器屋さんが宣伝で流している動画は音もカッコイイんです!!
ここはしょーがない!!
ド素人ですから私(笑)
とりあえず運指表の音階で「出ない音が無かった(現在も)」という点では、安価にして上出来だと私は思います!
【おまけ:練習編】
初心者ですから、今でもアンブシュアや姿勢など、動画やWEBサイトや教則本の情報だけではわからないものです。
でもとにかく練習するのみですから、今でも「音階→教則本→好きな曲の1フレーズ」といった練習を繰り返しています。
自分が勉強した情報を思い出して、吹きながらアンブシュアや姿勢やストラップの長さなど調節してみることも。←未だにソレをやっている私
1つ上達したと思うのは、簡単な楽譜(シャープとフラットが1つまでのレベル)なら、曲が吹けるようになったこと!
まだ初見でスラスラと吹くことは無理ですが、ちょっと考えて1フレーズ吹けたり、3小節吹いてみたりができました!
2ヶ月にしては早いと思いませんか!?←自分で褒めたくなる
私はあえて「音符の上にドレミの読み方表示しないで」吹く努力をしています。
初心者ですぐ上達したい場合は、自分に負荷をかけると、意外と早く出来るようになりますよ!
楽譜を見ては、教則本の運指表を何度も見るのです(笑)
その後は、楽譜を見ずに耳で音を確かめながら、運指をイメージして自然と指が動くまで練習します。
とにかく1フレーズずつゆっくりです。
ちょっと気が遠くなりそうなこともありますが、努力したことは必ず報われます!!
一緒に頑張りましょう!
このブログが少しでも同じ初心者のお役に立てますように・・・。
では!今日もあなたとのご縁に尊尊我無(トウトゥガナシ=感謝)★ミ
安室奈美恵密着ドキュメンタリーを見て
こんにちは!
WEBライターをやりながら天職を追求する主婦、ドラタケちゃんです♪
書くことが好きで、ブログで執筆練習をしております。
ラストツアーを終えた安室ちゃん、お疲れ様でした。
ファンクラブ入ってライブ行っておけば良かった~!←倍率相当高そう
今は最後のライブDVDを楽しみにしている私です♪
掃除や洗い物など、家事はモチベーションを上げるために安室ちゃんのDVDやCDを聞きながらやることにしています!
そして最近は、Huluでも安室ちゃん特集を見ています。
この時は特に「Huluの会員になって良かった♪」と思いました(笑)
Hulu「安室奈美恵密着ドキュメンタリー」配信中!
top ←※Huluオリジナルのコンテンツにあります。
デビュー25周年を迎えた2017年、そして突然の引退発表。
幅広い年齢層から絶大な人気を誇る「安室奈美恵」さんの、アーティスト人生最後の1年間に密着しています。
Huluでしか見られない安室ちゃんの貴重映像が盛りだくさんです。
1.【全てはライブのため】
他の番組のインタビューでも語っておられますが、安室ちゃんのアーティスト活動はライブに全身全霊をかけていました。
「ファンの皆さんのために」
「どうやったらファンの皆さんが喜んでいただけるのか」
ファンの皆さんを一番に思う安室ちゃんだからこそ、ファンの皆さんもずっと安室ちゃんを応援し続けてきたんですね。
MC無しでノンストップのパフォーマンスをするライブで有名な安室ちゃんですが、なぜMCを入れないかも語っています。
ライブには、打ち合わせからリハーサルも入念なチェックを毎回欠かさない安室ちゃん。
リハーサルではバックダンサーさんの顔が1人1人ちゃんと見えるように、というステージ配置もチェックするので驚きです。
ライブで最高のパフォーマンスをやるために、バックダンサーにも高い技術が求められたようで、「様々な有名ダンサーが安室奈美恵のバックダンサーを目標としていた」という記事を目にしたこともありました。
そんなダンサーチームのプロ意識の高さも含め、ドキュメンタリーではライブの裏側が見られます。
2.【奇跡のビジュアルと歌声】
もう皆さんもご存知のとおり、安室ちゃんは奇跡のビジュアルです。
美容は最近になって意識したというからビックリ!!
あるCMで、安室ちゃんが10代から現在までの自分という感じで、ファッションと共に変化していくという映像がありました。
この撮影が「全て現在の本人」と知ったのもかなり驚きでした。
てっきり昔のCGを使っていると思っていた私。
ドキュメンタリーの見どころの1つが、安室ちゃんのファッション雑誌撮影の裏側!
雑誌社によっても安室ちゃんへの想いは様々ですが、どの雑誌も見事に「安室奈美恵」を引き出していましたよ。さすがプロ!
撮影後のインタビューももれなくついています♡
楽曲やライブパフォーマンスの素晴らしさはもちろんですが、見た目の美しさを20年余りも維持するのは本当に凄いことですよね。
そして昔より更に歌唱力が上がったところから、ライブパフォーマンスにかける情熱やストイックさを感じます。
ドキュメンタリーでは、アルバム「Finally」の収録風景も少し見れますよ!
3.【完璧な自己プロデュース力】
安室ちゃん密着もやがて終盤を迎えます。
数々のインタビューの中で、私の中で最も響いたのは、
「30代からは楽しんでお仕事ができた」
「自分がやりたいようにやらせてもらえた」
という言葉でした。
それまで数字(売上など)に縛られたり、敷かれたレールでしか歩めなかったものが、自分の足でしっかりと歩めるようになったというような内容でした。
安室ちゃんの凄さを私が語るとしたら「完璧な自己プロデュース力」の一言です。
ジャネットジャクソンの音楽性に衝撃を受け「踊って歌う歌手になるんだ」と決めてから、明確なイメージを持っていた安室ちゃん。
30代で良きスタッフと出会い「自分がやりたい仕事」ができたのも、安室ちゃんの明確なイメージに業界の方もきっと感銘を受けたのだと思います。
他にも、ツアーやMV撮影の合間の「素」の部分が垣間見れたり、オフの日の過ごし方なども聞けたり、色んな安室ちゃんを知ることができますよ。
4.【同じ世代が自分を重ねる】
こんなことを言ってはおこがましいですが私はこの1年、安室ちゃんに自分を重ねるように見守って応援していました。
私が仕事を辞めると決心して「最後の」会社員生活1年間を駆け抜けた昨年。
その昨年に引退発表があった時は、他人事とは思えないほどの衝撃を受けました。
でも色んな人がショックを受けている中で、私には「最高の美学」だという感動しかありませんでした。
40代で何らかの転機が訪れる人って多いのではないでしょうか?
私と同じように安室ちゃんに自分を重ねた人も多いはず。
引退理由は様々な憶測が噂されていますが、ご本人が別のドキュメンタリー番組で「色々あり過ぎて、深すぎて」と語っておられた所からすると、メディアで言えない事情もあるのかと思います。
でも、辞めると決めてから最後にできる限りのことを精一杯し、有意義な1年間にしていきたいと言った安室ちゃんに言いたい。
様々なことに邪魔されて言えないこともあったかもしれないけど、自分を信じて突き進んだ今までに間違いが無かったから今もファンに愛されているのだと!!
だからこれからは「何にも縛られず」、自分が輝く人生を送って欲しいです。
引退は決してネガティブなものじゃなく、次の道を探す楽しみが待っていると語っていた安室ちゃん。
安室ちゃんは「計画はできるだけ明確に持った方が良いと思います」と言っていました。
最後まで本当に凄い人だな~と思わされます。(笑)
私も計画を具現化できるように努力します!
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サイドメニューも美味しい奄美の「やきとり鳥舗(とりほ)」
こんにちは!
WEBライターをやりながら天職を追求する主婦、ドラタケちゃんです♪
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やっぱり「たまご焼き」は、インスタ映えするよね~♡
あ、私インスタやっていませんが。
最初の写真は私の作ったものではありませんよ。
って・・・誰が見ても分かるわ!!!
このだし巻玉子は、私たち夫婦が愛して止まない奄美の人気焼き鳥屋さんの1つ「鳥舗(とりほ)」のメニュー。
鳥舗は、奄美のグルメ情報で、必ず人気店ランキングに表記されているお店です!
焼き鳥はもちろん美味しくて、ささ身ワサビ焼きやささ身ウニ焼きなどの変わり種もあります。(ささ身はとっても柔らかい!!)
でも、そんな当たり前を紹介するライターにはなりませんよ私。
私が目をつけたのは「だし巻玉子」と「とり釜めし」です!
いや普通に焼き鳥を紹介してよ、となりますが焼き鳥はもちろん美味しいです。
メニューはやきとり 鳥舗さんのHPをご覧ください。
焼き鳥屋さんですが、焼き鳥じゃなくあえてサイドメニューの紹介で勝負です(笑)
【だし巻玉子】
居酒屋の玉子焼きって、お酒の「アテ」だからか塩辛い(関東だと醤油が濃いとか)ことが多くないですか??
この鳥舗さんのだし巻は、醤油とかでごまかさない出汁の旨味がきいている、というイメージなんです。
そしてとにかく「ぷるんぷるん」なんです!!
あ、ちなみに奄美は関西系の味が好まれています。
お店のダシの材料なんて分かりませんが「だし巻き」の場合、一般的には「白ダシ」のような、しょっぱい系が使われます。
この鳥舗さんのだし巻は、そのダシ加減が最高なんです。
塩っ気の中にどこかみりんのような、ほんのりとした甘さも舌に残ります。
【とり釜めし】
それから「とり釜(かま)めし」がこれまた、すごく美味しい!!
※注意:ダンナ様の手
2人前ほどのご飯が入るかわいいオカマ・・・じゃないお釜!←お約束ね
注文してからこのお釜で炊き上げるので早くても20分かかりますが、待つだけ美味しさも増します♪
その「釜」なんですけどフタが木製なので、釜めしを食べるとヒノキのような香りが鼻を突きぬけ、鶏のダシのご飯が口の中にパッと広がるんです。
鶏のダシはご飯一粒ずつにいきわたっていて、鶏肉としめじ、さらに三つ葉のアクセントが見た目と味のバランスを良くしています。
この釜めしのとっておきが、小さく映っている「とっくり」に入った鶏の「スープ」。
最初は釜めしを普通に味わって、途中で鶏のスープをかけていただくという「二度美味しい」メニューなのです!
奄美では「鶏飯(けいはん)」というご当地グルメがありますが、スープをかけるとシンプルな鶏飯になるのが粋です。
(鶏飯については、そのうち紹介します♡)
【だし巻玉子で分かる料理の質】
だし巻きたまごの味の好みは人それぞれ。
だからこそ万人が美味しいと思うだし巻き玉子って難しいと思うんですよね~。
料理の評論家でもない私がエラそうなことは言えませんが。
でも、料理の専門家の評価より万人のお客の評価が大事じゃありませんか?
関東の旅行先で「甘い玉子焼きも美味しい!」と、私が感じたことがあるように、関東からの旅行客にだってきっとこのだし巻の美味しさは伝わるはず・・・
旅行客と鳥舗のカウンターでお話したことがありますが、その方もだし巻玉子を食べて美味しいとおっしゃっていました!
特に好みが別れやすい「だし巻玉子」が美味しいってことは、そのお店の料理が全部美味しいということだと、勝手に思う私です(笑)
奄美の焼き鳥屋さん「鳥舗」は、「メニューに迷って注文しても失敗が無い」そんなお店だと思います。
【おまけ情報、醤油の文化】
奄美は「甘口醤油」の文化です。
関東のお寿司を食べたことが無いので、色んな情報を聞いた中で「お醤油の文化」というものがあると知った時は驚きました。
奄美の飲食店は甘口醤油がメインで置かれていますが、お店の方にお願いしたら濃口醤油も用意してあるところがありますよ。
焼き鳥のタレも甘く感じるかもしれませんが、そこで超おすすめなのが「黒糖焼酎」です。
黒糖焼酎はサトウキビが原料だからといって甘ったるいわけではありません。
自然の甘さと「キュ~ッ」とくる焼酎特有の辛さが、甘口のタレとよく合います♪
豆知識ですが、奄美の本格黒糖焼酎は「糖質ゼロ」という利点があるんですよ。
ぜひ焼き鳥に合わせて、黒糖焼酎を飲んでみて下さいね。
鳥舗にある黒糖焼酎は銘酒揃い!
飲み過ぎ注意です(笑)
グルメライターできそう私?
では!今日もあなたとのご縁に尊尊我無(トウトゥガナシ=感謝)★ミ
カラッとした奄美の夏。そして「ちらしすし太郎」(笑)
こんにちは!
WEBライターをやりながら天職を追求する主婦、ドラタケちゃんです♪
書くことが好きで、ブログで執筆練習をしております。
6月って・・・夏?
今更ですがググってみたら、太陽暦では6月~8月が夏というらしいです。
私の住む奄美大島、場所によっては既にセミが鳴いています(笑)
気温は今週の平均が30度で、来週は30度超えの予想だそうです。
季節の変わり目はいつも驚きの連続で・・・
特に春になると、島では半袖を来て歩いている人も見かけるものですが、ニュースでは北日本の「大雪注意」が流れているなんてザラです。
北海道や東北の積雪問題を見て、なんだか申し訳ない気持ちにさえなります。
さて、全国的に暑くなってまいりましたが、今回は暑い奄美の夏にピッタリな、うちごはん!
手抜き「ちらしすし太郎」です♪
私は「すし太郎」が大好き!
食欲が無い時は特に、すし太郎が恋しくなるものです。
そのままでも全然いけるのですが、たまには「トッピング」とかしたいな~。
ということで、すし太郎を利用して、ちらし寿司っぽくトッピングしましたよ~!
レシピは説明する必要もないのですが一応・・・
【材料】3人前(本品は2人前となっていますが、3人分くらいあります)
・すし太郎1回分(1袋)
・ご飯約500g
・きゅうり1本
・スーパーにある刺身盛り合わせ(お好みの量で)
・しょう油
・わさび
・あればすし酢
・あればゴマ
「いくら」があると見栄えが良いのですが高いので;;
でもお刺身盛り合わせでも十分ですね!
今回の盛り合わせには、
・かんぱち
・シビ(島のマグロみたいな赤身です)
・しその葉
が入っていました。
①しその葉以外は、わさび醤油(あればすし酢を小さじ1)に浸します。
②ご飯にすし太郎を入れて混ぜながら冷まします。
③お皿にすし太郎ご飯をよそいます。
④③に浸した刺身を並べ、「ほどよい間隔」で薄切りにしたきゅうり(ななめ切)を3枚ずつ間に挟みます。
⑤そして、中央にしその葉、その上に水イカを盛ります。
あればゴマをかけると、なんか本格的っぽくなりますよ♪
そういえば、昔旅行代理店に勤めていたのですが・・・
訪れた観光客や常連の転勤族のお客様に「島の夏はカラッとしていて涼しいですね」と言われました。
妹がまだ独身の頃、京都のお友達を奄美に連れてきたことがありましたが、朝洗濯したものが、帰ってきた頃には乾いているということに、とても驚いていました。
紫外線は強いですが、奄美は高い建物が無いので「自然な風」がよく通り、洗濯物もすぐ乾きます。
ただ、1年のうち雨が最も多い地域ですので、コインランドリーに通うこともしばしばですが。
今日は良い天気なので、洗濯物は夕方には取り込めそうです!
では!今日もあなたとのご縁に尊尊我無(トウトゥガナシ=感謝)★ミ
最後まで音楽に人生を捧げた「久野三知男」先生~オリジナル曲編~
小学校の時の器楽部顧問だった「久野先生」。
当時管楽器と打楽器だった編成を突如変え、管楽器以外に「三味線」や「やぐら太鼓」などの和楽器を購入。
大編成した器楽部は「さざ波バンド」と名を変えて、新たなスタートをきりました。
その時に久野先生が、自ら作曲されたオリジナル曲があります。
曲名は「島のひびき」。
楽譜は無く、先生が「口頭のニュアンス」で生徒にイメージを伝えるという、斬新な方法で作り上げた作品でした。
さざ波バンドは今も健在です。
この「島のひびき」は今でもコンサートのメインで演奏されますが、大人になってから私が見ることは、しばらくありませんでした。
あれから何十年と分からなくなるほど経過した頃、思わぬ機会で「さざ波バンド」を訪れる日がやってきます。
私の所属する社会人吹奏楽団に「さざ波バンド顧問」が入ったのです。
初めての依頼は「バンドの子供たちに『楽器を教えて欲しい』」という内容でした。
不安と怖さの中、恐る恐る音楽室に入りました。
さすがに私たち一期生の時代の写真や、思い出の品は何も残っていませんでした。
小学校の校舎が建て替えられた際に、音楽室にあった楽器の一部や資料などが処分されたかもしれない、とのことでした。
新しい子供たちの演奏する「島のひびき」は、だいぶ変わり、簡素化どころか全然違うフレーズになっているところもありました。
私の不安は的中。
同時に、この伝統が大きな問題点を2つ残していた「現実」に改めて直面させられたのです。
①オリジナル曲「島のひびき」は楽譜が無いため、顧問の入れ替わりの際、指導法がうまく引き継がれなかった。
②途中、楽器を指導できる顧問がいなかったり、部活を週に3回と減らしたりする時期があり、管楽器の演奏までもレベルが落ちてしまった。
目を覆いたくなる現状でした。
改めて私が経験したコンサート、本当の「島のひびき」を思い出してみました。
サンバラという楽器で「奄美の波を」、やぐら太鼓のロールで「島の鼓動を」表現した出だし。
そして、バス三味線の伴奏が入り「※糸くり節」のメロディ。
※「糸くり節」は奄美の島唄。大島紬の糸を紡ぐ工程で、糸が切れたらもう二度と紡ぐことができないことを、「人の縁」とかけて歌われたもの。
その「糸くり節」は、1番をソロと伴奏の3名だけが演奏し、2番でほぼ全員による三味線合奏が始まります。
そして三味線合奏の掛け合いからの島唄へ。
何より一番の見せ場は、やぐら太鼓の片面を上にし立てて演技をする「三人太鼓」。
3人の女の子が顔を伏せてしゃがんだ状態からの「ヤー!」という掛け声で、まず中央の1人が立ち上がり、力強い太鼓を打ちます。
その中央パートのソロ演技が終わり最後のポージングを決めると同時に、サイドの2人が「ソーレー!」と立ち上がります。
そこから1つの太鼓を囲み、3人のかけあい演技が始まります。
これが終わると今度は全員が立ち上がって、チヂンと和太鼓のコラボ。
クライマックスは、三味線と太鼓と歌のチームに分かれ「六調」という流れへ。
歌を歌い、六調を踊り、ステージはもうお祭り状態。
観客のお年寄りが自然と腰を上げ、子供たちと一緒に六調を踊ります。
最後は、三味線もやぐら太鼓もチヂンもロールです。
子供たちは両手を高々と上げ、万歳のまま掌で「キラキラポーズ」。
太鼓の「ドドドン!」の合図に「ソーレー!」とみんなで掛け声をしながら、ジャンプをして終わります。
だいたいこんな感じだった、そう、こんな曲だった。
思い出していくうちに私は、正直、今のバンドを何とか変えたいという「想い」が込み上がりました。
でも「本当の『島のひびき』」を知らない子供たち。
OBやOGを頼りに作り上げてきた「今の『島のひびき』」の形は、もう変えられない。
10年ならまだしも・・・25年余りの年月は長過ぎました。
本当の「島のひびき」を教えたところで、近年のさざ波バンドを知っている多くの人が「まったく別の曲」とイメージしてしまうからです。
今はさざ波バンドの父兄に楽団の団員がいて指導に行ってくれるので、私もたまに指導に行きます。
これが「さざ波バンド1期生」である私ができる、せめてもの償いです。
他にもひょっとすると、私が久野先生の意志を継ぐ宿命もあるのかもしれません。(笑)
曲はもう変えられませんが、私なりにできることを考えます。
まずは、吹奏の部でドラムや鍵盤(鉄琴等)を教え、島のひびきの部では三味線や太鼓の技法だけでも教えようと思うのです。
最後まで音楽に人生を捧げた「久野三知男」先生~生き様編~
ふと昔の映像を再現化したDVDを見つけた。
恩師であった「久野(ひさの)」先生からの贈り物。
小学校の時の器楽部顧問だった久野先生。
彼は数年前にお亡くなりになりました。
最後に先生にお逢いしたのは、もう20年以上も前のこと。
「あの時、先生に逢いに行っていたら良かった。」
悔やんでも悔やみきれない後悔だけが、今もずっと私の心に残っています。
~歴史~
- 1.【久野先生との出会い】
- 2.【器楽部に変化】
- 3.【今までにないジャンル「さざ波バンド」の誕生】
- 4.【定期演奏会は『立ち見』の観客が出るほどに】
- 5.【思い出のDVD】
- 6.【先生に聞かせたかった『魂の島唄』】
1.【久野先生との出会い】
小学校や中学校の運動会では、昼食時間の合間に、器楽部とバトン部による「マーチング演技」が行われるのが定番でした。
このマーチングの太鼓がやりたくて私は、勇気を出して1人で器楽部を訪れました。
1人で来た私を見て感心した新任顧問は「穏やかなオジさん」といった印象・・・それが久野先生でした。
2.【器楽部に変化】
大好きだったマーチングはあっという間に違う編成に。
もともと管楽器と打楽器の編成だった器楽部は、あの「久野先生」によって、大きく変化します。
それは久野先生の大きな挑戦でした。
「島の子供たちと共に、島の楽器を使った音楽を作り、守っていきたい」
確かそのようなコンセプトのもと、これまでに無い器楽部を作り上げると。
コンサートでは、曲によっては生徒に指揮をさせ、先生はほんの2曲ほどの指揮。
生徒は皆ズボンを着用。
先生による斬新なアイディアが続きました。
そして奄美の「三味線(しゃみせん)」や「チヂン(島太鼓)」をたくさん購入。
三味線は、先生自らが運指表や楽譜を手書きで作成。
基本の調律からチヂンの扱い方も全部、先生が1から教えました。
当時の校長先生は、久野先生のハッキリとしたイメージ像と熱意に感銘されたのか、学校側としてもとても協力的に尽くしていたと、後から噂で聞きました。
3.【今までにないジャンル「さざ波バンド」の誕生】
三味線のメインパートは「三味線教室」の生徒でもある優秀な奏者が担当。
でも島の楽器とはいえ、他の子供たちには三味線やチヂンを触れる機会は滅多にありません。
先生はそんなことはお構いなしで、他にもどんどん楽器を増やしました。
・やぐら太鼓
・ホラ貝(戦国時代の映画などで、戦いの始まりの合図によく使われる巻貝)
・サンバラ(波の音。大きなザルに小豆を入れたシンプルな手作り)
誰が何の楽器をするかは、久野先生の「評価」によって決められました。
三味線は先生お手製の楽譜「これができたら3級、2級、1級・・・」のような階級式になっていて、先生の評価により「ステージの前列、後列」のポジションが決まります。
やぐら太鼓やホラ貝も、まずは先生が1フレーズやって見せ、唐突に片っ端から1人ずつ「はい、やってみて」と同じフレーズができるかを試させます。
さらには「65点、90点、35点・・・」とその場で結果が言い渡され、最後に先生がメインパートを選抜するという仕組み。
弱肉強食の中で、みんな自分のポジションを掴むため、必死でした。
私は、演奏をカバーするための「エレクトーン」と島唄を歌う「唄者」に選ばれました。
島唄なんてもちろん知らなかった私は、選ばれた後も音源1つで耳コピーするという至難の課題を出され、必死に覚えました。
でも・・・誰しもが好きなポジションを勝ち取りたいと思うものです。
厳しい評価制度は高いクオリティを生み出す反面、子供たちの競争世界の中では「派閥」や「いじめ」が発生することも。
また、評価がなかなか上がらずモチベーションが下がり、辞めていく人も多くいました。
苦労の多かった久野先生。
新しいことを始めるのは、当然色んな問題があるもので・・・私の知らないところで生徒や一部の親に責められたことがあったそうです。
数人の生徒の前で、たった一度だけ涙を見せたことがあるのは、そのことだったのかもしれない。
でも先生は、前に進み続けました。
そんな久野先生が新生器楽部に付けた名は「さざ波バンド」でした。
4.【定期演奏会は『立ち見』の観客が出るほどに】
久野先生は、さざ波バンド時代にオリジナル曲「島のひびき」を作曲されました。
島唄をアレンジして作った作品で、楽譜はありません。
先生が1フレーズずつ、演奏して見せて「はい、やってみて」。
これだけで、あとはやりながら先生のイメージを元に1つずつパートを仕上げます。
当時の管楽器をやっていた生徒も、耳で覚えて演奏するので、とにかく全員が大変でした。
過酷でしたが、久野先生に妥協はありませんでした。
先生は絶対的な「曲やフォーメーションのビジョン」を持っていて、それを生徒に何とか伝えようと全身全霊で指導をされました。
「歌も音楽も魂なんだ」と・・・。
でも当時は小学生が相手・・・ガサガサする子だってたくさんいました。
先生は柔道の有段者。
言うコトを聞かない男子生徒(←矛盾したことでは無いです)は、先生が足払いで投げました(笑)
女子生徒はもちろん手加減しますが、指導中におしゃべりをすると厳しく怒鳴りました。
そんな先生の根気の指導が報われ、県のコンクールでは入賞し、サミットなどの大型イベントや合奏祭など、様々な場所で演奏を積み重ねました。
小学生の器楽部では珍しいバンド編成として、地元のメディアでも話題になりました。
そんな数々の活躍と話題のお陰で、定期演奏会の観客は毎年増えていきました。
県の文化センターでの開催。
私が現役だった頃の観客は、最高3,000人を超える「立ち見」がいたほどでした。
あの会場に響き渡る三味線と太鼓の迫力、スポットライトを浴びて島唄を歌った時の「指笛」など、会場の熱気は今でも忘れられません。
5.【思い出のDVD】
久野先生とは年賀状をきっかけにやりとりをするようになり、私は先生が鹿児島へ行ってからも互いの近況をやりとりしました。
それから数年後。
先生は退職され鹿児島の地で、長年の夢だった「新たな蛇味線(じゃみせん)バンド※」を結成。
※胴の両面部分に「ハブ皮」を張ることから、本来は「蛇味線」と言われており「蛇味線バンド」と名付けた。
(生前の久野先生による一説です。)
学生から社会人まで総勢40人ほどまでメンバーは増え、先生は退職金で「練習場」を作り、三味線や太鼓などを一式揃えました。
私は先生が結成した蛇味線バンドの、記念すべき初のコンサートにゲストとして、出演させていただきました。
ふと手にしたのは、その時のDVD。
先生がくれた、たった1つの「思い出のDVD」でした。
6.【先生に聞かせたかった『魂の島唄』】
先生のハガキで「体調が思わしくない」と知ってから間もなく、連絡が途絶えました。
後に、久野先生が「パーキンソン病」と「認知症」を患ったと聞きました。
私は何度も三味線を持って、先生が療養されていらっしゃる施設に行こうとしたことがありました。
でも結局行くことはできず、そのまま先生は天国にいってしまいました。
大人になって初めて、先生の教えてくれた「島唄」を「魂」で歌いたいと思った私。
だからこそあの時、施設に行ってでも先生に三味線の弾き語りを聞いてもらいたかった。
たとえ先生が私を覚えていなくても・・・。
私が先生にしたかった恩返しの、最後のチャンスでした。
そのチャンスを逃した私の後悔は大きいです。
でも久野先生の、さざ波バンドの「一期生」であることを、私はずっと誇りに思います。
先生が最後まで音楽に人生を捧げた生き様、カッコ良かったです。
私に音楽の素晴らしさを教えて下さって、本当にありがとうございました。
容疑者(夫)
こんにちは!
WEBライターをやりながら天職を追求する主婦、ドラタケちゃんです♪
書くことが好きで、ブログで執筆練習をしております。
この前のブログでいよいよ奄美んちゅ(奄美人)を公表しました。
ギア2ndです!!
(いや、誰も見てないし気にしてないし)
せっかく新しいスタートをきったというのに・・・私はプンプン丸です!!
ダンナ様がまたもやらかしました。
明け方帰りです。
このブログをもって制裁を加えます。
1.犯行の時系列
18:30→容疑者(夫)仕事から帰る。とすぐ「今日、急な飲みが入った!」
18:40→容疑者(夫)入浴。
19:30→容疑者(夫)着替えながら、妻との質疑応答開始。
妻「誰と?」
夫「ヨシ〇〇さん(仕事関係者)。でも、今日はオレ本当に疲れているから早く帰るよ。」
妻「そんなこと言って~(笑)早くお開きになっても、いつものメンバーに電話して『今日は屋仁側(やにがわ=繁華街)出てるからさ~』なんて言って行くんでしょ??」
夫「いやいや、マジで疲れているから早く帰る」
20:00→被害者(妻)、ダンナ様を繁華街に送り届ける
23:50→私、いったんLINE「大丈夫?」
5分経っても何もなく、被害者(妻)⇒とりあえず就寝。
・・・ハイ、それだけです。
!?!?!?それが犯行か??・・・ですって??
立派な虚言罪が成立していました。
2.証拠収集捜査
<被害者(妻)が告訴に至るまで>
・夫に門限を義務づけていない。
・ただし夫が飲みに出る場合は「相手を申告」するよう義務づけている。
・普段から、予定変更になる時(遅くなるなど)は必ず一報を入れるという取り決めがある。
以上。
被害者(妻)は、以下の理由で心配で胃が痛くなった模様。
・店や店の階段で寝て財布を盗られているかもしれない
・ケンカをふっかけられて血まみれになっているかもしれない
・フラフラし過ぎて転んでケガをして血まみれになっているのかもしれない
(どんだけ血まみれ妄想)
普段は、飲みに出た夫に邪魔をすることは一切無いという被害者(妻)!!
今回の捜査ポイントは容疑者(夫)が何度も「早く帰る」「疲れている」と言ったこと。
早く帰ると言ったのに午前0時を過ぎると、さすがに何かあったのかと心配になります。
疲れていると言ったら、飲んだ後に倒れたんじゃないかと心配になります。
心配されるのも今のうちです。
気づきましょう、そのことに。
ということで、明け方帰ってきた容疑者(夫)によって眠りを妨げられた罰として問い詰めます。
3.取調べ
Q「あなたは何時に帰ってきましたか?今時計は何時ですか?」
容疑者(夫)「あれ~、3時になってますね~」
・・・ハト時計がタイミング良く鳴る。※小さな音ですからね
「カッコ~、カッコ~、カッコ~、カッコ~」
Q「ハトちゃんは何回鳴きましたか?」
容疑者(夫)「え~っ!?・・・4時です・・・ね」
Q「あなたは疲れているのですぐ帰ると言いましたが」
容疑者(夫)「歯を磨かなきゃ」
Q「聞いてますか?」
容疑者(夫)、歯を磨く、寝る
わかりました、明日に持ち越しましょう。
ところがここから被害者(妻)は二次被害に遭います。
容疑者(夫)のイビキ地獄です。
容疑者(夫)「フングゥ~・・・・・ンガッ・・・ッブッファーーーガガッ」
もう!!
表現が難しいイビキなんですけど。
腹立たしい中、気が付けば午前6時の時計が鳴っていました(泣)
4.電話検証
朝・・・朝というかもうすぐお昼の11:00頃。
電話検証が始まりました。
まずはLINE。
被害者(妻)がLINEをしたのは23:50。
「大丈夫?」のメッセージ。
この意味がわかるか確認してみた。
容疑者(夫)「えっ?LINEしたの?覚えてない。ごめん。」
やむを得なく容疑者(夫)スマホのLINEを開かせた。
私のLINEも開くと、私のLINEには「0:04 既読」
容疑者(夫)「あれ!?ウソ!オレ開いてる?」
私は続けて言った。
「0:42 電話しましたけど」
容疑者(夫)「ん?おかしいな~・・・」
さぁ、もう逃げられない!!
LINEを既読したのに、その後の電話も無視したのです!!!
「白状しろ!!」
容疑者(夫)にカツ丼を出してライトを向けます。
5.自供
容疑者(夫)「ツ〇シと飲んでいました。」
Q「・・・?飲みの相手は仕事関係者のヨシ〇〇君では?」
容疑者(夫)「ヨシ〇〇さんとは早く別れた」
Q「何時頃に?」
容疑者(夫)「・・・分からないけど多分23:00くらい」
Q「ではその後にツ〇シと飲んだ?」
容疑者(夫)「うん。」
Q「あなたから『今夜は飲みに出ているんだ~!』と電話を?」
容疑者(夫)「いや、絶対自分じゃない。本当にツ〇シから電話があって」
Q「偶然だと?」
容疑者(夫)「ほんと、偶然!!」
もう一度言います!
妻のLINEを既読したのに無視、その後の妻からの電話も無視したのです!!!
しかも、相手が途中からいつものメンバーに変わっています。
結局ツ〇シはいつも共犯扱いです。
午前11:30、犯人逮捕。
どうだー!!怖いだろー!!
口は弱いけど文章にするとネチネチ長々と、こうやってやり返すんだよ私は!!
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なんてね。
その後は全然問い詰めてませんよ、爆笑ですよ。
私、仏の妻ですから。
では!今日もあなたとのご縁に尊尊我無(トウトゥガナシ=感謝)★ミ