座右の銘は「万里一空」です

ドラムがちょっと叩けるタケちゃんの人生追求ブログ

最後まで音楽に人生を捧げた「久野三知男」先生~オリジナル曲編~

f:id:doratake_3JSB:20180619214533j:plain

小学校の時の器楽部顧問だった「久野先生」。

当時管楽器と打楽器だった編成を突如変え、管楽器以外に「三味線」や「やぐら太鼓」などの和楽器を購入。

大編成した器楽部は「さざ波バンド」と名を変えて、新たなスタートをきりました。

 

その時に久野先生が、自ら作曲されたオリジナル曲があります。

曲名は「島のひびき」。

 

楽譜は無く、先生が「口頭のニュアンス」で生徒にイメージを伝えるという、斬新な方法で作り上げた作品でした。

 

さざ波バンドは今も健在です。

この「島のひびき」は今でもコンサートのメインで演奏されますが、大人になってから私が見ることは、しばらくありませんでした。

 

あれから何十年と分からなくなるほど経過した頃、思わぬ機会で「さざ波バンド」を訪れる日がやってきます。

 

私の所属する社会人吹奏楽団に「さざ波バンド顧問」が入ったのです。

初めての依頼は「バンドの子供たちに『楽器を教えて欲しい』」という内容でした。

 

不安と怖さの中、恐る恐る音楽室に入りました。

さすがに私たち一期生の時代の写真や、思い出の品は何も残っていませんでした。

小学校の校舎が建て替えられた際に、音楽室にあった楽器の一部や資料などが処分されたかもしれない、とのことでした。

 

新しい子供たちの演奏する「島のひびき」は、だいぶ変わり、簡素化どころか全然違うフレーズになっているところもありました。

 

私の不安は的中。

 

同時に、この伝統が大きな問題点を2つ残していた「現実」に改めて直面させられたのです。

①オリジナル曲「島のひびき」は楽譜が無いため、顧問の入れ替わりの際、指導法がうまく引き継がれなかった。

②途中、楽器を指導できる顧問がいなかったり、部活を週に3回と減らしたりする時期があり、管楽器の演奏までもレベルが落ちてしまった。

目を覆いたくなる現状でした。

 

改めて私が経験したコンサート、本当の「島のひびき」を思い出してみました。

 

サンバラという楽器で「奄美の波を」、やぐら太鼓のロールで「島の鼓動を」表現した出だし。

そして、バス三味線の伴奏が入り「※糸くり節」のメロディ。

 ※「糸くり節」は奄美島唄大島紬の糸を紡ぐ工程で、糸が切れたらもう二度と紡ぐことができないことを、「人の縁」とかけて歌われたもの。

 

その「糸くり節」は、1番をソロと伴奏の3名だけが演奏し、2番でほぼ全員による三味線合奏が始まります。

そして三味線合奏の掛け合いからの島唄へ。

 

何より一番の見せ場は、やぐら太鼓の片面を上にし立てて演技をする「三人太鼓」。

3人の女の子が顔を伏せてしゃがんだ状態からの「ヤー!」という掛け声で、まず中央の1人が立ち上がり、力強い太鼓を打ちます。

その中央パートのソロ演技が終わり最後のポージングを決めると同時に、サイドの2人が「ソーレー!」と立ち上がります。

そこから1つの太鼓を囲み、3人のかけあい演技が始まります。

 

これが終わると今度は全員が立ち上がって、チヂンと和太鼓のコラボ。

クライマックスは、三味線と太鼓と歌のチームに分かれ「六調」という流れへ。

歌を歌い、六調を踊り、ステージはもうお祭り状態。

観客のお年寄りが自然と腰を上げ、子供たちと一緒に六調を踊ります。

 

最後は、三味線もやぐら太鼓もチヂンもロールです。

子供たちは両手を高々と上げ、万歳のまま掌で「キラキラポーズ」。

太鼓の「ドドドン!」の合図に「ソーレー!」とみんなで掛け声をしながら、ジャンプをして終わります。

 

だいたいこんな感じだった、そう、こんな曲だった。

思い出していくうちに私は、正直、今のバンドを何とか変えたいという「想い」が込み上がりました。

 

でも「本当の『島のひびき』」を知らない子供たち。

OBやOGを頼りに作り上げてきた「今の『島のひびき』」の形は、もう変えられない。

 

10年ならまだしも・・・25年余りの年月は長過ぎました。

本当の「島のひびき」を教えたところで、近年のさざ波バンドを知っている多くの人が「まったく別の曲」とイメージしてしまうからです。

 

今はさざ波バンドの父兄に楽団の団員がいて指導に行ってくれるので、私もたまに指導に行きます。

これが「さざ波バンド1期生」である私ができる、せめてもの償いです。

 

他にもひょっとすると、私が久野先生の意志を継ぐ宿命もあるのかもしれません。(笑)

 

曲はもう変えられませんが、私なりにできることを考えます。 

まずは、吹奏の部でドラムや鍵盤(鉄琴等)を教え、島のひびきの部では三味線や太鼓の技法だけでも教えようと思うのです。