祖母が認知症になったお陰で...
油断していたら、また「はてな今週のお題」が変わっちゃった(笑)
ま~、ライティング練習ですのでね、気楽に参ります。
というわけでお暇なら読んでね!
少し重い話に受け取られるけど、どうか、寛大な心で読んで欲しい。
私の祖父母は皆、他界してしまっている。
中でも父方の祖母・・・私のおばあちゃんのこと。
良い想い出のエピソードは特に残っていない。
でもあえて、おばあちゃんのことをここ(ブログ)で残したくなった。
父とは私が学生時代のうちに離別しており、父方の祖父母とは成人式に一度会ったきり。
それから約10年後、父方の祖父が他界した。
葬儀に行き、久しぶりに父と祖母に会った。
祖母以外の父や親戚に会うのは約18年ぶり。
父は照れながらも嬉しそうで、他の親戚も皆歓迎してくれた。
でも「おばあちゃん」はそっけない。
おじいちゃんの葬儀で動揺しているわけでは無い。
そういう人である。
なぜなら他の親戚とは普通に笑って話していたから。
昔から変わらない、別に嫌いとか、そういうことでは無い。
ただ、祖父の葬儀で再会した時、どんな会話をしたか、今でも一言も思い出せない。
葬儀から帰る車の中で、私は昔を思い出した。
母方の祖母は、誰にでも好かれるニコニコした大らかな人だった。
でも、父方の祖母は対照的で、いつも眉間にシワを寄せている人だった。
おばあちゃんは、人付き合いもしない人だったって聞いたなー。
おじいちゃんは、人付き合いを大事にし、さらに「厳格な人」だったから、昔は色々あったに違いない。
おばあちゃんの育った環境や、結婚してからの苦労が恐らく顔に出ていたのだと思う。
島にいるイトコ達の中でも年長さんだった私。
それなのに、お手伝いも進んでやらない役立たずだったから、呆れていたはずだ。
何かあれば「あんたが年上なんだから」と注意された。
2組のイトコは「母と離別」していたこともあり、祖母をめぐってケンカになるほど祖母が大好きだった。
祖母は母親変わりになろうと、2組の孫たちを平等にかわいがることで、大変だった。
・・・と、今ならそう思う。
でも当時は「私はかわいくない孫と思われている」という劣等感から、次第に祖母に近づけなくなった。
父は実家に連れて行きたがるが、私は嫌がってよく怒られた。
父は当然孫を見せたいし、自分も親が見たかったはず。
それに、実家に行ったら畑の野菜がもらえるし、近くの海で魚が獲れる。
だから結局・・・渋々父の里帰りに着いて行く。
とまぁ、そんなダメ孫な私は、父方の祖母だけは歩み寄れなかった。
祖父の葬儀で、切ない気持ちになった私。
ところが、それからほどなくして、驚く出来事があった。
祖母の「認知症」である。
知ったきっかけは、私の妹が父に初めて孫を見せに行った時。
私もなぜか頼まれて同伴。
父は、認知症になった母を看るため、現在の奥さんと夫婦で実家に住んでいた。
私たちが家に入ると、おばあちゃんがにっこり笑って「あ~どうも」と軽く会釈した。
それはそれは、穏やかな笑顔だった。
いつも眉間にシワを寄せていた祖母の、初めてのおだやかな笑顔だった。
それが「認知症」によるもので、とても複雑だったが、それでもとても嬉しかった。
その次の言葉で「認知症」の現実を知る。
「どちらさん?」
私も妹も言葉を失った。
父が慌てて私と妹の名前を言って、説明する。
「ええ~そうね」
祖母は一瞬「ハッ」とした顔をし、私を見て笑った。
一瞬だったが、私をちゃんと見て笑った気がした。
妹が父に、当時赤ちゃんだった長男を抱かせた。
顔がほころぶ父を見て、祖母が一言。
「あら~、アンタ(父)に似てるような気がする」
みんなは爆笑した。
父が「当たり前だ!オレの孫なんだから!!」と言ってまた皆で笑う。
父に思い切って、祖母の症状を聞いたら、一般的によく耳にするものだった。
「ご飯を食べた数時間後に『ご飯はまだ?』って言う」と。
認知症は、介護側の負担など色々と大変で・・・
本人がほぼ記憶を無くしてしまうわけで・・・
何とも言えない切なさを感じた。
でもほんの少しだけ、認知症になって良かったのかもしれない、と思った。
おばあちゃんの「おだやかな笑顔」が、「かわいい笑顔」が見れたこと。
色んな苦労の数だけ眉間にシワを寄せていた祖母が、その重いストレスを全て下したんだと感じたこと。
そして、長く引きずることなく、老衰で人生を終えたこと。
でもそれは、何より父と奥さんが祖母と同居し、一生懸命尽くしたお陰である。
以上、主婦ライター「ドラタケちゃん」でした。
トウトゥガナシ(感謝)