座右の銘は「万里一空」です

ドラムがちょっと叩けるタケちゃんの人生追求ブログ

祖母が認知症になったお陰で...

f:id:doratake_3JSB:20180919221310j:plain

油断していたら、また「はてな今週のお題」が変わっちゃった(笑)

ま~、ライティング練習ですのでね、気楽に参ります。

というわけでお暇なら読んでね!

 

少し重い話に受け取られるけど、どうか、寛大な心で読んで欲しい。

 

私の祖父母は皆、他界してしまっている。

中でも父方の祖母・・・私のおばあちゃんのこと。

 

良い想い出のエピソードは特に残っていない。

でもあえて、おばあちゃんのことをここ(ブログ)で残したくなった。

 

父とは私が学生時代のうちに離別しており、父方の祖父母とは成人式に一度会ったきり。

それから約10年後、父方の祖父が他界した。

葬儀に行き、久しぶりに父と祖母に会った。

 

祖母以外の父や親戚に会うのは約18年ぶり。

父は照れながらも嬉しそうで、他の親戚も皆歓迎してくれた。

 

でも「おばあちゃん」はそっけない。

おじいちゃんの葬儀で動揺しているわけでは無い。

そういう人である。

 

なぜなら他の親戚とは普通に笑って話していたから。

昔から変わらない、別に嫌いとか、そういうことでは無い。

 

ただ、祖父の葬儀で再会した時、どんな会話をしたか、今でも一言も思い出せない。

 

葬儀から帰る車の中で、私は昔を思い出した。

母方の祖母は、誰にでも好かれるニコニコした大らかな人だった。

でも、父方の祖母は対照的で、いつも眉間にシワを寄せている人だった。

 

おばあちゃんは、人付き合いもしない人だったって聞いたなー。

おじいちゃんは、人付き合いを大事にし、さらに「厳格な人」だったから、昔は色々あったに違いない。

 

おばあちゃんの育った環境や、結婚してからの苦労が恐らく顔に出ていたのだと思う。

 

島にいるイトコ達の中でも年長さんだった私。

それなのに、お手伝いも進んでやらない役立たずだったから、呆れていたはずだ。

 

何かあれば「あんたが年上なんだから」と注意された。

 

2組のイトコは「母と離別」していたこともあり、祖母をめぐってケンカになるほど祖母が大好きだった。

祖母は母親変わりになろうと、2組の孫たちを平等にかわいがることで、大変だった。

・・・と、今ならそう思う。

 

でも当時は「私はかわいくない孫と思われている」という劣等感から、次第に祖母に近づけなくなった。

 

父は実家に連れて行きたがるが、私は嫌がってよく怒られた。

父は当然孫を見せたいし、自分も親が見たかったはず。

それに、実家に行ったら畑の野菜がもらえるし、近くの海で魚が獲れる。

 

だから結局・・・渋々父の里帰りに着いて行く。

 

とまぁ、そんなダメ孫な私は、父方の祖母だけは歩み寄れなかった。

 

祖父の葬儀で、切ない気持ちになった私。

ところが、それからほどなくして、驚く出来事があった。

 

祖母の「認知症」である。

 

知ったきっかけは、私の妹が父に初めて孫を見せに行った時。

私もなぜか頼まれて同伴。

父は、認知症になった母を看るため、現在の奥さんと夫婦で実家に住んでいた。

 

私たちが家に入ると、おばあちゃんがにっこり笑って「あ~どうも」と軽く会釈した。

 

それはそれは、穏やかな笑顔だった。

 

いつも眉間にシワを寄せていた祖母の、初めてのおだやかな笑顔だった。

それが「認知症」によるもので、とても複雑だったが、それでもとても嬉しかった。

 

その次の言葉で「認知症」の現実を知る。

「どちらさん?」

 

私も妹も言葉を失った。

父が慌てて私と妹の名前を言って、説明する。

 

「ええ~そうね」

祖母は一瞬「ハッ」とした顔をし、私を見て笑った。

一瞬だったが、私をちゃんと見て笑った気がした。

 

妹が父に、当時赤ちゃんだった長男を抱かせた。

顔がほころぶ父を見て、祖母が一言。

「あら~、アンタ(父)に似てるような気がする」

みんなは爆笑した。

 

父が「当たり前だ!オレの孫なんだから!!」と言ってまた皆で笑う。

 

父に思い切って、祖母の症状を聞いたら、一般的によく耳にするものだった。

「ご飯を食べた数時間後に『ご飯はまだ?』って言う」と。

 

認知症は、介護側の負担など色々と大変で・・・

本人がほぼ記憶を無くしてしまうわけで・・・

何とも言えない切なさを感じた。

 

でもほんの少しだけ、認知症になって良かったのかもしれない、と思った。

 

おばあちゃんの「おだやかな笑顔」が、「かわいい笑顔」が見れたこと。

色んな苦労の数だけ眉間にシワを寄せていた祖母が、その重いストレスを全て下したんだと感じたこと。

そして、長く引きずることなく、老衰で人生を終えたこと。

 

でもそれは、何より父と奥さんが祖母と同居し、一生懸命尽くしたお陰である。

 

以上、主婦ライター「ドラタケちゃん」でした。

トウトゥガナシ(感謝)