紅葉が無い奄美大島在住の私が初めて紅葉を見たとき
今週のお題「紅葉」
(※写真はイメージです)
私が住む奄美大島には世間一般でいう「紅葉」の季節がない。
多種多様の植物によって、赤い葉や黄色い葉はあるものの、秋に見られる「紅葉」というものは見られない。
そして、修学旅行はまさかの九州や沖縄ばかりで、秋の修学旅行もあったが紅葉の記憶は全く無い。←私の後輩の修学旅行先は関西だったという
だから・・・
「もみじ」→赤い葉
「かえで」→よく分からない
「いちょう」→黄色い葉
この程度のレベル。←奄美人が全員このレベルではありませんよ;
これがどういうことかというと・・・
大人になって恥をかく。
最も恥ずかしかったのは、いちょうの実が「ぎんなん」であると知ったのが、大人になってからということだった。←それは私が単に無頓着すぎ?
そう!大人になってから、初めて「本物の『いちょうともみじ』に出会う機会」があった。
「いちょう」は会社員として勤めていた頃の鹿児島出張先で。
「紅葉」は母方親戚との関西旅行先、食事をしたお店の庭にあった。
どちらも、見つけた瞬間「うわぁ♡」と声に出して喜んだ。
バッグからすぐ「デジカメ」を取り出し、ひたすらシャッターを切った。
全体、下から、アップ、背景ぼかし・・・
何かに憑りつかれていたのかと思われるほど夢中になって、写真を撮りまくっていた。
今思うと、あの時「どこの田舎者?」と見ていた傍観者もいたかもしれない。
母にいたっては「落ち葉」さえ拾っていた(笑)
もみじの時は「すごいよ、ここも全部赤いよ」と当たり前のことを言う。
いちょうを見た時も「下に落ちているのが銀杏ってこと?」と当たり前のことを言って笑われた。
葉が赤や黄色に色づいた木だけじゃない。
落ち葉が広がる地面の風景でさえ絵になる。
手に届くもみじの木に寄り添い、一瞬にして自分が映画のワンシーンにいるかのような気分を味わった。
とにかくその紅葉の美しさに「うっとり」したものだ。
葉が赤いだけのもの、赤い中にオレンジや黄色のグラデーションがかかったもの。
どれもが新鮮で感動だった。
もみじなのに緑色の葉を見つけたら、なぜかテンションが上がった。
「これは珍しいんじゃない?」なんて。
そう。
そのくらい南の島の人間にとっては、木の葉全体が、キレイに緑から赤や黄色に色づく自然現象がうらやましくてしょうがない。
これが毎年見られるの?
季節を肌で感じるだけでなく、目で楽しめる。
特に秋の紅葉は自然が織りなす「まるで芸術」のような景色。
でも奄美大島は、今やっと肌寒くなってきたというレベル。←11月ですよ
半袖で過ごしている人もいるほどで、秋や春の季節感がない。
そして、急に冬がやってくる。←昨日半袖、今日コート
植物は緑の色こそ何種類もあるが、冬だからといって紅葉にはならない。
残念なことに枯れ木の方が目立つ。
母のいる実家に住んでいた頃、テレビでしか見たことが無かった紅葉。
絶景を紹介する番組を見ては「いつか本物の紅葉が見てみたいね」といっていた私と母。
本物が見れた、本物に触れたあの時の感動を、またいつか味わいたい。
美しいと心から思える紅葉。
年齢とともに高まる「わび・さび」の感情。
日本人として誇りに思うこの「わび・さび」を引き出してくれるのがまさに紅葉だと思うのである。