座右の銘は「万里一空」です

ドラムがちょっと叩けるタケちゃんの人生追求ブログ

「Whenever You Call 」で知ったマライア・キャリーの音域の凄さ

f:id:doratake_3JSB:20181009181729j:plain

前回、ブライアン・アダムスさんの楽曲について少し触れました。

 

その勢いで、急に洋楽のネタが書きたくなってしまい・・・

 

何と大御所「マライア・キャリー様」について語りたいと思います。

 

マライア様を知ったのは、テレビのCM。

 

もう世代の話なんで、こちらCMの話はアラフォー以降の方向け。

 

「ミニディスク(通称MD)」という音楽を録音して聞くための媒体が流行った頃。

(説明がすごくざっくりなので、細かいクレームはご遠慮ください。笑)

 

このMDを宣伝する日本のCMに、彼女が登場したのがきっかけでした。

金髪のお姉さまがイヤホンでMDを聞いている姿・・・その時の金髪のお姉さまがマライア様。

 

いくつかCMパターンがあったのですが、とにかくこのCMで「7オクターブの声を持つマライア様」の伝説の「ホイッスルヴォイス」が初披露されました。

 

歌ではなく、ただ本当に笛のような超高音にビブラートがかかっている感じ・・・だったような気がします。

 

「これ、まさか声じゃないよね?女性が発声しているっぽいけど」

「いや~、これが声なわけないでしょー!!」

 

友達や家族で、CMの話題はすぐさま評判になりました。

 

それから日本でもマライア様はあっという間に人気となり、たくさんの曲がヒットすることになるのです。

 

私が特にマライア様の曲を耳にしたのは、20代に飲み歩いていたころ(笑)

 

ま~よくBGMが流れていましたよ。

ショットバーとかで。

 

エモーションズ

ワン・スウィート・デイ

恋人たちのクリスマス

マイ・オール・・・

 

エモーションズを聞いた時はビックリしたよね。

「すげー!マライアは本当にこんな広い音域を持っているんだ」

って、度肝抜かれました。

 

あともう一つ驚いたことが・・・

確かMステ(タモさん司会の)で、マライア様が中継出演したんです。

 

その時マライア様は、広いソファーに横たわり、顔に肘をついた状態で「ハーイ!」みたいな・・・

 

タモさんもビックリするよね~。

大人の対応だったタモさん、さすがでした。

 

なんかもう、これに驚き過ぎて後の記憶が無い(笑)

 

その時はぶっちゃけ「彼女、何サマ?」と思ったよね~。

 

それから30代の頃に、Youtube視聴にハマったことがあって・・・

マライア様とブライアン様が「Whenever You Call」のデュエットを歌っている動画を発見!

 

この歌唱力に身震いしました私。

 

1:19~1:23辺りで、マライア様が「Nah~Ah~ah~~~~~Uh~Yeah」

(ニュアンスで感じとって!!)

 

とコーラスを歌う(?)部分があるんですが・・・

 

この「Uh~Yeah」に変わる部分、声質がだいぶ変わり、マライア様独特の大人セクシーな声から野太い男性的な声と言いますか・・・

 

ノンブレス(息継ぎなし)のままで、声が変わるのです!! 

 

声帯自体が変わるの?

どんな声帯しているの?っていうくらい。

 

普通は地声で高音域の歌を歌っていて、限度を超える時に、裏声を使いますが、その逆なんです。

裏声のような高い声から、地声の低い声に変わる・・・みたいな!?

(と、私には感じました)

 

マライア様の代表的ホイッスルヴォイスといえば、私はエモーションズのイメージが強いですが、このWhenever You Call で本当の彼女の凄さを知った気がします。

 

だから、Mステのあの態度で「何サマ?」と思ったけど、

「マライア様」くらいになれば、調子にノッちゃうよね~と理解。

(ファンの皆様ごめんなさい;リスペクトしてはいるけど・・・)

 

ということで、マライア様の「Whenever You Call 」

 

Youtubeも感動ですが、やっぱりちゃんとCDとかスマホで、音源をダウンロードして聞いた方が断然分かりやすいです。

声質が変わる様子!!

 

マライア様の声が好きな方はぜひ、聞いてみてくださいね。

 

洋楽って、コーラスのこぶしがすごく繊細で、特に聖歌隊出身でゴスペルとか経験しているアーティストも多いですよね~。

ブラックミュージック、かっこいい!!

 

以上、書くことが好きで、ブログで執筆練習をし、

自分にとっての天職を追い求めている、
そんな主婦ライターのドラタケちゃんでした♪


今日もあなたとのご縁に尊尊我無
(トウトゥガナシ=感謝)★ミ

【洋楽】ブライアン・アダムス「Do I Have to Say the Words?」

f:id:doratake_3JSB:20181009004644j:plain

相変わらず更新が不定期なドラタケちゃんです。

 

ブログは執筆練習ですのであしからず!

→練習より雑記好き(やる気あんのか!!`Д´)

 

今日のテーマは「洋楽」です。

 

いつかの学生の頃何かで誰か外人さんの男性の、何とかという素晴らしくクールな曲に出会いました。

出だしの一声で、私は一瞬にして落ち(惚れ)たのです。

 

悲しいことに、楽曲はCDプレイヤーなどで聞く時代。

 

それどころか、当時はスマホググるなんてできない時代。

 

CDプレイヤーも無ければ、簡単に誰の何という曲か、すぐ調べたりできなかった。

 

いつ「あの曲」を聞いたのか、もう思い出せません(笑)

 

でも、間違いなく中学生か高校生くらいに衝撃を受けた楽曲で、学校の帰り道にハミングで口ずさんだことは覚えているのです。

(歌詞はもちろん英語で分からないので)

 

「彼の曲」が気になったまま、いつしか時は流れ、次第に「彼の曲」への思いが遠い遠い心の奥で眠ってしまっていました。

 

それが、突然よみがえる出来事が起こったのです!!

 

もう、私は30歳になっていました。

 

用事で出かけており、信号待ちをしているところでした。

 

目の前に、オシャレなスポーツカー(確か黒いスカイライン)が横切っていき・・・

 

空いていた車の窓から、「あの曲」が聞こえたのです!!!

 

ほんの数秒の出来事でしたが、眠っていた感情がまたも一瞬にして、目覚めました。

 

どんな人が乗っているのか見たかったけど、残念ながら見えず・・・

 

とにかく、あの瞬間あの曲が流れていた奇跡ともいえるシチュエーションに、私はしばらく胸の高鳴りが止みませんでした。

 

もう、この頃はインターネットという強い味方がいる時代♪

 

私は帰ってから、すぐパソコンに向かいました。

 

「・・・あれ?どうやって調べる?」

 

大きな問題が発生しました。

 

いつ頃聞いたのか、アーティストも曲名も分からず、どこで聞いたかも思い出せません。

 

しかもこの頃はライターでは無いので、検索のやり方も不慣れ。

とりあえず、こんな検索をしました。

 

「洋楽 男性 バラード ハスキーヴォイス」

「洋楽 男性 1989~1995 バラード」

こんな感じだったかなー。

 

たいてい、出てくるアーティストさんは「スティング」「ミスター.ビッグ」「エアロスミス」・・・

 

いや、分かるけど!!

 

Youtubeでいっぱい聞いたなー。

 

心折れそうになりながら、いっぱい聞きました。

 

それで、やっと思い出したのです。

 

「そういえば、曲の出だし・・・『レスキューミーフロムなんたら』」

 

こんなんでヒットするのかなー・・・??

 

今度は知恵袋的な検索サイトで検索してみました。

 

「レスキューミー」だけで。

 

これで解決したのです。(笑)

 

いくつか候補があった中で、「これが怪しいな~」と思う曲をYoutubeで調べて、聞いていきました。

 

それで、やっと・・・やっと見つかったのです。

それが、

ブライアン・アダムス「Do I Have to Say the Words?」

 

あの出だしからのハスキーヴォイス。

まるでカリフォルニアの、きらめく海が見える長い道を車で走っている風景。

(※イメージです)

どこか懐かしさが漂うエレキ(?)とベースの音色の重なり。

どこか男臭さを感じるスローテンポ。

メジャーな音から途中マイナーに変わって・・・

でも最後はメジャーで終わる

 

上手く言えないけど、これが曲に対する私のイメージです。

 

ネットが普及する時代、サイバーテロとか正直怖さの方があって、

あまりネット自体を、良く思っていませんでした。

 

でも、このネットの力で、ずっと分からずにいた楽曲を発見することができ、ライターの仕事に就くこともできました!

 

そう思うと感慨深い私です。

 

といいつつプレイヤーで聞くことが無くなってしまったので・・・

結局スマホで楽曲購入(ダウンロード)して、聞いています;

 

ブライアン様、素敵な曲をありがとう♡

祖母が認知症になったお陰で...

f:id:doratake_3JSB:20180919221310j:plain

油断していたら、また「はてな今週のお題」が変わっちゃった(笑)

ま~、ライティング練習ですのでね、気楽に参ります。

というわけでお暇なら読んでね!

 

少し重い話に受け取られるけど、どうか、寛大な心で読んで欲しい。

 

私の祖父母は皆、他界してしまっている。

中でも父方の祖母・・・私のおばあちゃんのこと。

 

良い想い出のエピソードは特に残っていない。

でもあえて、おばあちゃんのことをここ(ブログ)で残したくなった。

 

父とは私が学生時代のうちに離別しており、父方の祖父母とは成人式に一度会ったきり。

それから約10年後、父方の祖父が他界した。

葬儀に行き、久しぶりに父と祖母に会った。

 

祖母以外の父や親戚に会うのは約18年ぶり。

父は照れながらも嬉しそうで、他の親戚も皆歓迎してくれた。

 

でも「おばあちゃん」はそっけない。

おじいちゃんの葬儀で動揺しているわけでは無い。

そういう人である。

 

なぜなら他の親戚とは普通に笑って話していたから。

昔から変わらない、別に嫌いとか、そういうことでは無い。

 

ただ、祖父の葬儀で再会した時、どんな会話をしたか、今でも一言も思い出せない。

 

葬儀から帰る車の中で、私は昔を思い出した。

母方の祖母は、誰にでも好かれるニコニコした大らかな人だった。

でも、父方の祖母は対照的で、いつも眉間にシワを寄せている人だった。

 

おばあちゃんは、人付き合いもしない人だったって聞いたなー。

おじいちゃんは、人付き合いを大事にし、さらに「厳格な人」だったから、昔は色々あったに違いない。

 

おばあちゃんの育った環境や、結婚してからの苦労が恐らく顔に出ていたのだと思う。

 

島にいるイトコ達の中でも年長さんだった私。

それなのに、お手伝いも進んでやらない役立たずだったから、呆れていたはずだ。

 

何かあれば「あんたが年上なんだから」と注意された。

 

2組のイトコは「母と離別」していたこともあり、祖母をめぐってケンカになるほど祖母が大好きだった。

祖母は母親変わりになろうと、2組の孫たちを平等にかわいがることで、大変だった。

・・・と、今ならそう思う。

 

でも当時は「私はかわいくない孫と思われている」という劣等感から、次第に祖母に近づけなくなった。

 

父は実家に連れて行きたがるが、私は嫌がってよく怒られた。

父は当然孫を見せたいし、自分も親が見たかったはず。

それに、実家に行ったら畑の野菜がもらえるし、近くの海で魚が獲れる。

 

だから結局・・・渋々父の里帰りに着いて行く。

 

とまぁ、そんなダメ孫な私は、父方の祖母だけは歩み寄れなかった。

 

祖父の葬儀で、切ない気持ちになった私。

ところが、それからほどなくして、驚く出来事があった。

 

祖母の「認知症」である。

 

知ったきっかけは、私の妹が父に初めて孫を見せに行った時。

私もなぜか頼まれて同伴。

父は、認知症になった母を看るため、現在の奥さんと夫婦で実家に住んでいた。

 

私たちが家に入ると、おばあちゃんがにっこり笑って「あ~どうも」と軽く会釈した。

 

それはそれは、穏やかな笑顔だった。

 

いつも眉間にシワを寄せていた祖母の、初めてのおだやかな笑顔だった。

それが「認知症」によるもので、とても複雑だったが、それでもとても嬉しかった。

 

その次の言葉で「認知症」の現実を知る。

「どちらさん?」

 

私も妹も言葉を失った。

父が慌てて私と妹の名前を言って、説明する。

 

「ええ~そうね」

祖母は一瞬「ハッ」とした顔をし、私を見て笑った。

一瞬だったが、私をちゃんと見て笑った気がした。

 

妹が父に、当時赤ちゃんだった長男を抱かせた。

顔がほころぶ父を見て、祖母が一言。

「あら~、アンタ(父)に似てるような気がする」

みんなは爆笑した。

 

父が「当たり前だ!オレの孫なんだから!!」と言ってまた皆で笑う。

 

父に思い切って、祖母の症状を聞いたら、一般的によく耳にするものだった。

「ご飯を食べた数時間後に『ご飯はまだ?』って言う」と。

 

認知症は、介護側の負担など色々と大変で・・・

本人がほぼ記憶を無くしてしまうわけで・・・

何とも言えない切なさを感じた。

 

でもほんの少しだけ、認知症になって良かったのかもしれない、と思った。

 

おばあちゃんの「おだやかな笑顔」が、「かわいい笑顔」が見れたこと。

色んな苦労の数だけ眉間にシワを寄せていた祖母が、その重いストレスを全て下したんだと感じたこと。

そして、長く引きずることなく、老衰で人生を終えたこと。

 

でもそれは、何より父と奥さんが祖母と同居し、一生懸命尽くしたお陰である。

 

以上、主婦ライター「ドラタケちゃん」でした。

トウトゥガナシ(感謝)

サバの水煮でさっぱり。牛乳無しカルボナーラ風。

我が家の飲んだくれ大食い夫の注文。

パスタを要求されました。

 

冷蔵庫にはキャベツ・玉ねぎ・しめじ・エノキ・果物・乾燥椎茸。

ちなみに冷蔵庫の乾燥椎茸、、、

実家から母が来た際に、冷蔵庫に入れられました。

(母は何でも冷蔵庫保存派)

 

冷凍庫にはササミ。

ササミを解凍するのでさえ面倒だと感じるこの頃。

本当のズボラ主婦です(笑)

 

夫はよくサバ缶を入れ、フレーク状のカレー粉で味付けした「節約パスタ」を披露します。

 

今回も同じように提案されました。

・・・が、ズボラ主婦の意地が(笑)

色んな引き出しを開けて確認し、コーンスープ発見。

 

牛乳も無いのにカルボナーラが食べたくなったー!

といことで、なんちゃってカルボナーラです。

f:id:doratake_3JSB:20180913141726j:plain

超質素(笑)しかもカルボナーラ風に見えない。

※味はどちらかというとカルボーナーラですよ~

 

ダイエットや節約を考えている方におすすめです。

 

<材料>(3人分)

★パスタ・・・300g

★オリーブオイル

★(あれば)バター10g

★しめじ・・・1袋

★玉ねぎ・・・1個

★サバの水煮缶・・・2個

味つけ用

☆コーンスープの素・・・3~4袋

クレイジーソルト(無ければ味塩コショウで)

☆ブラックペッパー

☆(あれば)乾燥バジル、パセリ等

 

<作り方>

①パスタを茹でる。(商品に書いてある規定の時間を参考に)

②玉ねぎを千切りに、しめじをバラバラに、サバ缶の身をほぐす。

③②をオリーブオイルとバターで炒め、塩コショウをお好みで。(中火)

f:id:doratake_3JSB:20180913142125j:plain

④さらにコーンスープの素と水を投入。

※水は茹で汁で少なめ。1袋分少ない分量、例えば3袋使用の場合は2袋分の水の量でOK。

f:id:doratake_3JSB:20180913142150j:plain

⑤最後に茹であがったパスタを絡める。

⑥皿に盛りつけたあとに、ブラックペッパー・乾燥バジルをかける。

 

以上ですが、感想としては思ったより薄味。

だから「さっぱり風味のなんちゃってカルボナーラ」(笑)

 

ちなみに私はソルトスパイスを「8振り」ほど、スープの素は3袋で試しましたが、薄味でした。

300gならスパイスを多めに振る、またはスープの素を4袋以上にすると良いかもです。

 

ちなみに、しっかり濃厚のカルボナーラにする場合は、

④で水の代わりに牛乳を使用し、卵黄を投入

さらにコンソメを加えて味を調整します。

 

より濃厚に仕上がります。

生クリームを入れる方もいますよね。

 

でもズボラ主婦のテーマは「いかに残り物で簡単に」ですから。

 

今回使ったクレイジーソルト。(ネーミング・・・ヤバいね~笑)

f:id:doratake_3JSB:20180913141703j:plain

いくつか種類があったと思いますが、どれでも美味しくできると思います。

万能スパイス、高いけどつい買っちゃうんですよね。

それって・・・節約レシピにならない!?

レシピ自体は節約メニューなんです(笑)

 

今日も大食い夫が2人分平らげました。

やっぱり残らない(笑)

ま、それはうまくいったということですね。

 

夕飯考えようっと。

 

以上!


書くことが好きで、ブログで執筆練習をしている、

自分にとっての天職を追い求めている、
そんな主婦ライターのドラタケちゃんでした♪


今日もあなたとのご縁に尊尊我無
(トウトゥガナシ=感謝)★ミ

 

 

 

 

<追悼>樹木希林さんの生き様に見出した私の信念

世の中にまた1つ衝撃が走りました。

日本が誇る名女優「樹木希林さん」の訃報ニュース。

 

全身ガンを患っていたとメディアで報じられた時は驚きました。

 

過去に舞台挨拶などのニュースを拝見した際は、 いつも軽快なトークで場を和ませたり、時には質問者を困らせる発言をされたり・・・

 

そんな樹木さんのイメージは、私にとって

「人々の度肝を抜く大女優」でした。

 

今回、なぜ樹木さんの訃報について触れたかと言いますと、樹木さんの生き様に感銘を受けたからです。

 

樹木さんについて、何が凄いか、

これまでどんな偉業を成し遂げてこられたのか、という濃い話題を語ることはできません・・・

(樹木さんごめんなさい)

 

でも、1つだけ言いたいのは、

 

私も樹木さんのような生き様を目指したい、

と強く思ったこと。

 

数々の名言を残された樹木さんですが、

私が特に印象に残っているのは、

 

(※老衰としてのお話の中で

「死ぬことに周りが執着し過ぎている」

「生きるのも日常、死ぬのも日常」

「最後までに、自分の全てを使い切りたい」

 

この3つです。

 

若い世代が発言したって、批判されるだけ。

 

でも樹木さんは、いわゆる「シルバー年齢」

になってからも、死生観についてブレずに語り続け、最後までご自分を貫きました。

 

「死」というものを重いものにせず、

笑いさえ交えて、自分の生き様を見せることにより、お茶の間の私たちに、

「死がやってくるのは当たり前のことなんだ、と気づかせてくれたのです。

 

ちょっと私の話になりますが、

今、父とは疎遠になってしまっています。

でも母とは死生観について語るほど、

本音で語り合えるようになりました。

 

母とは、お互い苦労した分、

今は旅行に連れて行ってあげたり、

私なりの親孝行をしているつもりです。

 

親や自分の死についてなんて、

重いテーマを偉そうに語りたいのでは無いけど。

 

親の老衰が受け入れられない1つに、

「親孝行できなかった」

という後悔が理由になっていると思います。

 

家族としては、

「長生きして欲しい」

という想いが一番なのですが・・・

 

では、いつが老衰?

「長生き」や「寿命」って何歳?

答えに「正解」なんてないですよね。

 

例え平均寿命より長く生きたとしても、

死と向き合える人なんてなかなかいません。

 

だからこそ、後悔の無いように、

会社員生活を辞めました。

親孝行はこれからも続け、母に寄り添います。

 

昔は、島外に就職したかったのに反対されて、家族を養っていく重圧が嫌でした。

 

でも私は島で結婚し、本当の意味で「人として」成長することができました。

母の趣味を共有し、毎年旅行に連れて行き、心から「これで良かった」と思えます。

 

母が強い人であるように、自分も強くなりたい。

笑って見送れるくらいの強い人間に。

きっと無理だけど;

 

でも自分が最期を迎える時は、

ただ「ありがとう」と言える、

そんな人間でありたい。

 

なんだか・・・

宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」を思い出しました。(笑)

素敵な詩です。

(これが遺作のメモだったとは驚きです)

 

さて、終盤。

 

私が今、死生観を語ったところで、

「あんたはまだ若いから、そんなことが言えるのよ」

と非難されて終わることでしょう。

(若い=アラフォーではあるけど、平均寿命の約半分という意味で)

 

先ほども「若い世代が(死生観について)発言したって、批判されるだけ」といいました。

 

でも、平均寿命より若い世代が「死」と向き合うことこそ大事なのだと思います。

 

寿命というものについて考えてみると、

私は今、逆算する時。

 

失敗することがあっても、

 

私はただ、ブレずに、

「最期は『素晴らしい人生をありがとう』と言うんだ」

という自分の信念を持って、老衰を目指し、歩み続けたいと思うのです。

 

以上!


書くことが好きで、ブログで執筆練習をしている、

自分にとっての天職を追い求めている、
そんな主婦ライターのドラタケちゃんでした♪


今日もあなたとのご縁に尊尊我無
(トウトゥガナシ=感謝)★ミ

 

 

 

 

確信犯のパリピ夫

f:id:doratake_3JSB:20180910233707p:plain

終わったーーー!!!

少し苦手な執筆案件のお仕事、ギリギリで提出完了。

明日は一日オフにしよっかな~、なんて。

 

ライターは自由がきくけど、油断禁物。

 

次の仕事、ちょっと前に行った「取材」の執筆が待っている。

写真をまとめているクライアントさんの指示待ち。

その間に少しでも執筆できるところはやっておかないとね。

 

さて、本日のお題は「確信犯のパリピ夫」。

公開処刑第2弾よ!!

 

ま~たやらかした。

 

パリピって色々あるよねー。

って私は思っているけど・・・。

 

夫の場合は「ダチ飲み」の部類。

私の中ではね、酔っぱらうのが好きな人もパリピ星人。

 

だって夫は「酔うと~なんか楽しいじゃん?」

というアホ。

あ、ごめんなさい。

私も同じでした(笑)

 

でも、ヤツ(夫)みたく酒に飲まれない!

 

酒に飲まれている人を見た時ほど情けない気持ちになることは無い。

 

ヤツが帰って来たの、朝の4時でした・・・

 

私達夫婦のこと「本当に仲が良いよね~」

と羨ましがってくれる方々いますが・・・

 

それなりに耐え貫いています。

お互いにね(笑)

 

ヤツ(夫)は酔って帰って来るとトイレに数十分入り浸る。

吐いているのか居眠りしているのか分からない。

 

朝になってトイレに入ると必ず、

「ペーパーホルダーカバー」が下に落ちている。

 

玄関の靴箱の上には、スマホと制汗剤シートと時計がキレイに並び、

(そこは酔ってもA型の性質が出る夫)

洗濯機の上には財布が置かれ、

洗濯機には、ズボンが半分だけ入っている。

 

当の本人は、正座の状態でなぜか床にうつ伏せ、

腕を真っ直ぐ伸ばしていた。

 

パッと見ストレッチだけど、

そのまま静止状態だからね。

 

大丈夫かと思って話しかけたら

「酔っぱらってます~」

との返事。

 

私「コイツ、マジでやばい」

って心底思った(笑)

 

これまでは毎回、優しく話を聞いてあげた私。

酔ってご機嫌な夫の「飲み会での出来事」。

 

みんな独身男ばかり(しかも『友達は』イケメンが多い)なのに、

なぜかキャバ嬢にモテたのは自分だけという自慢。

 

自分がモテてしまったために、

イケメン友達に嫉妬されたという自慢。

 

どんな自慢話も耐えてやった。←上から

 

でも、気持ち悪くなるまで酒に飲まれて、

ドタバタ、ガサガサと、部屋中をウロウロされて、

 

やっと寝たと思ったら、

牛や馬が鼻を鳴らすような大イビキ。

 

こんなんじゃ、もー

仏の私も耐えられない。←自分は「仏」扱い

 

だから私は、玄関側にある事務所(ダンナの本業は自営の電気工事)に行って寝た。

 

枕片手にヨガマットを持って行って。

固い床にヨガマットを敷いた時は悲しくなったわ。

(あ、本気にしないでね)

 

その日は私、仕事もあって、

執筆に時間がかかり、夜中の2時に就寝したばかりだった。

 

でも、4時に帰って来てガサガサする夫のせいで起きて、

事務所に移動して5時に寝て・・・

 

そしたら1時間後、大きな「ドンッ!!」て音で目が覚めたの。

何だったんだろう、と一応夫のいるベッドに行ったら・・・

ベッドと壁の隙間に夫が落ちていた(笑)

 

超爆笑!!

 

ざま~みろと思ったよ。

 

以上!


書くことが好きで、ブログで執筆練習をしている、

自分にとっての天職を追い求めている、
そんな主婦ライターのドラタケちゃんでした♪

 

今日は雑記ブログだから練習にならないけど、

やっぱりブログはコレがいい(笑)

次回は取材のお仕事レポかな♪

そちらもお楽しみに~!


今日もあなたとのご縁に尊尊我無
(トウトゥガナシ=感謝)★ミ

 

 

一度だけの家族旅行

f:id:doratake_3JSB:20180815105738j:plain

いつの週かの「はてなブログ今週のお題』」だった家族旅行。

少し書き溜めていたけど、最近ブログをおサボり中だったお陰で、もうお題が変わっていたわ。(笑)

どうせなら最後まで書いてみるから、暇なら見てね。

 

一度だけ家族旅行に行った、というただの思い出話なんだけど。

 

確か私が小学校4年生くらいの頃。

弟が小学校3年生で、妹は5歳。

私ですら記憶が曖昧だから、妹なんてほぼ覚えていないかな。

 

かわいそうだけど、こんな時、長女で良かったと思った。

 

夏休みの時期で、行った先は宮崎と熊本。

しかも、イトコ2人と叔母と祖母(母方)も一緒♪

すごくテンション上がったな~。

 

夏休みの後、学校が始まったら「ディズニーランド行った 」とか、

クラスの少数派が思い出話をしているわけで。

 

奄美は、旅行といったら必ず船や飛行機を使うから、

家族旅行なんて行った人は少なかった。(と思う)

今はLCC路線とか色々普及しているから、海外も行っている家族がいるのかな。

 

今となっては、たった一度でも・・・

行き先が九州でも・・・(奄美も九州)

連れて行ってくれた父に感謝。

 

父と母はもう別々の道を歩んでいて、

父には会っていないけど、

父と旅行の話をしてみたい、と思うこのごろ。

 

父が手配したと聞いた時は、「あの父が」レンタカーや宿を?

それとも旅行会社に電話して相談した?

・・・って、ビックリしたんだー。

 

どっちにしても、手配の電話をする父が想像できなくて(笑)

寡黙で愛想が下手な父だから。

そんな父が、頑張って手配して連れて行ってくれたと思うと感慨深い。

 

確か・・・初日は宮崎!

ワンボックスカーをレンタルして、父の運転で私は助手席に乗ったの。

なぜそこまで覚えているかというと、

父がどこかの真っ直ぐな道で「手放し運転」をしたから。

※絶対にやってはいけないことです。時効ということで(苦笑)

 

「危ないでしょ!」と叱る母。

でも私は「凄い!手放し運転できるの?」と感動したんだよね。

 

こんなことでもワクワクした昔の記憶。

 

それでね、シーガイアリゾートに行ったの。

今はなくなってしまったけど(泣)

 

当時は世界最大級と言われていた屋内プールの「オーシャンドーム」があったんだよ。

プールなのに「人工波」もあって凄かった!

 

でもなぜか泳いだ記憶が無い。

屋内のリゾートテーマパークという雰囲気は覚えているのだけど。

(ジャングルのような亜熱帯的雰囲気)

 

泳ぐことはそんなに好きじゃなかったから、泳いでないのかな(笑)

 

あとサボテン公園(後にサボテンハーブ園となった)て所にも行ったの!!

サボテンアイスを食べたのも良い思い出。味は覚えていないけど;

確か、ここで集合写真を撮ったんだー。

 

懐かしくなってネットで調べたら、2005年に既に閉園していた。

(だいぶ前に終わってたんだね)

時代の厳しさを実感したよねー。

 

2日目は熊本の遊園地。

これは妹以外、皆小学生だったから大はしゃぎ。

初めての遊園地だったから。

 

弟はチビだったから、身長が少し足らないものばかり。

それなのに、父は自分がいるから大丈夫だと、根拠の無い自信で色々乗せたの。

 

ドラゴンボートという「船がおよそ90度くらい傾く乗り物」では、弟は体が浮いて父が押さえていたとか・・・

 

そんな父に母だけが猛烈に怒っていたけどね。

当然だ。

 

身長が微妙でも、親が平然と「大丈夫」と言えばOKだったのかな!?

※これも絶対ダメ!!時効ということで(苦笑);;

 

そういえばね、観覧車ではね「この高さ、ヤバイ」って思ったの。

弟も私も下にもぐってしまい、座って景色を楽しむことができなかった。

 

これがきっかけで、私は自分が高所恐怖症であることに気づいたの。

ドラゴンボートも乗った後にダメだと思った)

 

ここからが私の地獄だった。

気が付けば私の「スタンプカード」はなぜか従姉が持っていたの。

「あんたのも押しておいたよ!」と嬉しそうに色々押してくれるワケ。

 (※スタンプカード=乗り放題の周遊券。当時のチケット制度。)

 

すごく嫌だったけど、一生に一度の思い出だと思い(10歳なのに)、思い切って2回転するジェットコースターを体験したのね。

 

そしたら次は「立って乗るジェットコースター」

いつの間にか、そのコースターのスタンプが押されていたのよね。

 

私は断固拒否。

結局、絶叫マシンを堪能していたのは従姉と叔母だけ。

 

その後も従姉はあきらめることなく、嫌がる私に今度は「お化け屋敷」のスタンプを押して連れ込んだのよ~。

これも一生の思い出だと思い(10歳が)、みんなでお化け屋敷に入ったわけよ。

 

ここでは、2人の知らないお姉さんたちが、急きょ合流。

入口で怖がって躊躇していたの。

 

どう見ても20代なのに、私たちの後ろに付く(笑)

 

ベタに壁がガタガタ鳴ったり、人形が光ったり。

お姉さんも私達も叫んでばかりだった(笑)

 

最後の出口の明かりが見えたと思ったら、突然お姉さんたちが私達をかきわけて走って行ってね。

何かと思って振り返ったら、顔の見えない黒いゾンビのような影が見えたワケ。

その瞬間みんな猛ダッシュ!!

 

足の遅い私だけ、出遅れる。

階段に足をかけたらなんと階段が滑り台に変化。

下まで滑っていった私。

 

たかがお化け屋敷なのに、目の前のゾンビに私は人生が終わったと思ったわ。

でもそこでイトコ2人が戻って来て、私の手を引いて出口まで連れ出してくれたの。

 

いかにもって思い出よね。

 

3日目が最終日で、動物園に行ったんだ。

確かサファリパークのようなところ。

シマウマ柄のジープに乗ってキリンやラクダとか見たの。

 

ロバに乗ったり、モルモットやウサギの小動物と触れ合ったのも楽しかった。

でもなぜか未だに気になることが1つだけ・・・

 

子供たちだけで集合して撮った写真。

なぜかライオンの檻の前だった。

 

ちょうどライオンがカメラ目線でメンチ切ってる横にみんな並んでいる。

誰もライオン好きというわけでは無かったのに。

恐らく「ライオンがいる動物園に行く、なんてこの先あるかわからない」という理由かな!

 

当時はビデオも無かったし、写真はわずかしか残っていなかった。

でも旅行の記憶は、残っているものなんだよね。

 

一度だけでも、

家族旅行とか、家族で思い出を残すことって大事だね。

 

以上!

 

書くことが好きで、ブログで執筆練習をしている、

自分にとっての天職を追い求めている、
そんな主婦ライターのドラタケちゃんでした♪


今日もあなたとのご縁に尊尊我無
(トウトゥガナシ=感謝)★ミ