座右の銘は「万里一空」です

ドラムがちょっと叩けるタケちゃんの人生追求ブログ

天職への道

 

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世の中、仕事に誇りを持って、心から遣り甲斐を感じている人はどのくらいいるのだろう。

そのくらい仕事を好きになれたら、辛いことだって頑張れるのに。

 

2018年3月31日、私は会社を辞めると同時に社員生活を捨てた。

そして主婦業をやりながら「WEBライター」をやるという、フリーランス生活を始めた。

40代にして「ほぼ無職」からスタートする新生活は、私にとって大きな決断である。

 

フリーランスに踏み切ることができたのは、夫の理解はもちろんだが、私たち夫婦の間に子供がいなかったことも大きい。

万が一、今からでも子供ができれば、落ち着いてからパートでもやればいいと思っていた。

そんな生活が周りにどう思われようが、私が離婚を覚悟したほどのフリーランスへの思いは、夫にさえ伝わればそれで良かった。

 

【事務職は評価されない】

 

私は離島に生まれ育った。この島を離れて生活したことは一度もない。

ほとんどの人は高校を卒業すると島を出るが、私の場合は「家庭の事情」で断念した。

母と弟達を支えなければいけない「母子家庭」だった私には、実家を出て行くことが許されなかった。

 

高校を卒業後は地元に残った。

就職は数回経験し、主に事務職や窓口の業務を務めた。

ただ毎日「行きたくない」という気持ちと戦っていた。

 

やがて私は結婚し、30代後半に差し掛かる頃、新しい政策を始める企業が増えだした。

長年の不景気のため、必要以上のことをやらなければならない時代がやってきたのだ。

当時働いていた勤め先の、大手企業グループ会社もそうだった。

 

業績が見えない事務職という仕事は、いつだって評価されない。

そんな私に仲間は「もっと無理をしないと生き残れない」と厳しいエール。

だが「自分は会社に、どう貢献するか」と考える毎日に、私は少しずつやる気を失っていった。

 

【縁が繋いだ運命の出会い】

 

私とは正反対に、仕事が順調でいつもキラキラ輝いている人がいた。

私の従妹である。

観光施設に就職した従妹は「今の仕事が楽しい」と言っていた。

こんな風に堂々と「仕事が楽しい」と言える従妹が、うらやましいと心底思った。

 

私は行きつけの美容室に行くたび、このことをよく話していた。

美容師は趣味仲間。

自営業を開拓し、さまざまな美容関係に詳しいスペシャリストとして活躍する彼女を、年下ながら尊敬している。

そんな彼女がふと情報をくれた。

 

「お仕事に悩んでいるなら、今度『働き方セミナー』があるみたいだから、行ってみては?」

 

自分の働き方のモチベーションを上げるヒントになるかもしれない、と思った私はすぐ参加を決めた。

 

その「働き方セミナー」とは、自治体と地元の観光情報サイト運営側が、提携し企画していた「フリーランス支援」の一環だった。

 

講師はメディアでも話題になったことのある女性のWEBライター。

フリーライターだけで稼ぐプロである。

こうやって縁によって繋がれた講師との運命の出会いが、後に私の人生を大きく変えることとなる。

 

【わたしの転機】

 

私はWEBライターによる「働き方セミナー」に参加した。

これがライターを始める「わたしの転機」となった。

 

伝えることがお仕事であるライターのセミナーは、構成がわかりやすい。

加えて講師の体験談もあり、集中力の無い私が最後まで聞き入ったのは初めてだった。

 

そしてセミナーの中で「自分に合った働き方ができているか」と問われた時、私の中に衝撃が走った。

 

「自分がやりたい仕事って何だろう」

 

これまで、仕事は「生活費を稼ぐ手段」というのが当たり前だった。

そんな私が本当にやりたい仕事や夢なんて、一度も考えたことはない。

 

セミナーは他にも、新しい働き方の1つとしてフリーランスが紹介され、「WEBライター」について少し学んだ。

もともと書くことが好きだった私は、あっという間にその世界観に惹き込まれていった。

 

他にも自己紹介や好きな映画紹介をする実践もあったが、全然うまく書けず失敗。

だが私はセミナーが終わると、とてもスッキリした気持ちになっていた。

 

「うまく書けるようになりたい!一から始めたい」

それは当時、仕事でできないことを求められた時に感じた「拒否感」と違い、社員生活で一度も感じたことのない、新しい感情だった。

 

【開花された夢】

 

後日、フリーランス支援がまだ続くと知った私は、今度は1年間を通して本格的に受講することにした。

ライター育成のための、実践を含む講座プログラムがあったからだ。

 

もちろん、社員生活を続けながら。

すぐ会社を辞めてライターの道に進んでも、数か月で「間違っていた」というわけにいかない。

私は自分が本当にライターになりたいのか、続けられるのかを試したかった。

また同時に、当時の会社の仲間に「業務が辛いから、逃げるために辞める」という風に思われたくなかった。

 

そして私は1年間の講座修行を終えて、2018年4月から新米ライターとなった。

これから「WEBライター」の中で、どんなライティングが自分に合っているかを、見つけたい。

 

自分のこれまでの経験はスキルとなって蓄積される。

自分のスキルが最大限に発揮される仕事に巡り合えたら「転職」ではなく「天職」といえるのではないだろうか。

 

私は、ライティングを続けながら自分の「天職」を追求したい。

それが、40代にして初めて自分で選んだ「私の道」。