座右の銘は「万里一空」です

ドラムがちょっと叩けるタケちゃんの人生追求ブログ

ガチレポ!奄美の伝統文化を伝承するご長寿が凄い!!

奄美の「一集落1ブランド」という冊子作りにおける取材を継続中!

 

今回は2案件経験した取材から、ガチな地元愛を語り尽くします!(笑)

  

一集落1ブランドって?

奄美市は平成19年度から「一集落1ブランド」という事業に取り組んでいます。

奄美市では、「地域の活性化は集落から」というコンセプトのもと、各集落(奄美大島の方言で集落は「シマ」と称する)が今日まで受け継いできた伝統芸能や特産品、特徴的な自然景観や植物等の地域資源を「地域の宝」ととらえ、それらを活用して島の住民及び島外からの来訪者との交流を生みだすことで、シマ及び地域の活性化を促すことを目的に、平成19年度から「一集落1ブランド事業」に取り組んでおります。

奄美市HPより引用

 

実は私、恥ずかしながら存じ上げませんでした。

そう、地元人の恥ですよね。

 

そのくらい、行政の活動なんて把握している人は多くいません。

(自分を正当化)

 

集落ブランドを知っている人に、「じゃあ、〇〇集落の〇〇踊りってどんなもの?」と聞いたところで、祖父母世代でも答えられる人は少ないのです!!

 

一集落1ブランドの説明って、その時は新聞に掲載されたかもですけど、今一覧が確認できるのは奄美市のHP掲載のみ。

あとは、各集落の入り口に「奄美市一集落1ブランド」の看板があるだけですから・・・。←って他にも情報があったりして;

 

「まだまだ知名度が足りない!!」

行政担当者は「何とかしなければ!」と立ち上がりました。

少子高齢化により、伝統文化を継承する若者が少なくなってきているのも、重大な問題です。

  

他の集落の伝統文化にも興味を持ち、集落の価値に気づいてもらいたい。

そして、地元に誇りを持ってもらうことで、集落のために人が動き、集落に人が戻ってくる。

行政担当者は誰もが目にしやすいよう、冊子化にすることを思いつき、奄美の情報発信を手掛ける会社へ委託しました。

 

その委託会社の再委託によって、私と他の寺子屋メンバーで冊子のライターを担当することに!

寺子屋メンバー=奄美市フリーランス寺子屋寺子屋内で仕事が発注される。

 

シマおこし最強の貢献者は・・・

近年地元んちゅによる「熱い『シマ』おこし」が続いております。

正確には、シマおこしの情報発信・・・ですかね。

そして「奄美市一集落1ブランド」が実現し、益々盛り上がりを見せています。

 

世界自然遺産の登録」も期待しましたが、登録には至らず残念!

「手つかずの島」こそが魅力だと、奄美んちゅ(奄美の人)は考えているのですが、それはそれで整備されていない部分に問題点もあるようです。

 

それならば、伝統文化を発信し、ありのままの奄美の素晴らしさを世に伝えたら良い!!

ただ・・・前述にもありましたが、シマおこしをするには、伝統文化を伝承する「人が必要」です。

実際には、集落によっては人手不足(正確には若者不足)で、伝統文化が少しずつ失われつつあります。

 

仕方のないことですが島を出て、そのまま都会に移住してしまう若者が増えたためです。

 

でも、

 

奄美各地に多種多様ある文化や伝統を守ることに、大きく貢献して下さっている方々がいます!!

 

 

皆さん、分かりますか??

 

出て行く者がいるということは?

 

そうです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

逆に来る者!!

「Iターン移住者」の皆さんです。

 

何かのきっかけで、奄美を訪れ、その魅力にハマり、集落に移住された方がたくさんいらっしゃいます。

もちろん、集落じゃなく市街地にお住まいの方も。

 

Iターン移住者の方には、プロの写真家の方やダイビングショップを経営される方など様々。

それぞれが、奄美の「スローライフ」を満喫し、その素晴らしさを島外へ発信してくださっているのです。

 

集落行事に協力してくださる方もいるようで、ご長寿の大先輩も喜んでおられました。

 

この情報発信が間違いなく、観光客の集客に繋がりますからね。

ひょっとすると次の移住者にも!!

私も地元目線で情報発信を頑張らねば!!

 

奄美の功労者!大先輩の名言

ありがたいことに、この取材は奄美の功労者」である大先輩のお話がたくさん聞けます。

 

先日は「打田原(うったばる)」という集落の「天然塩づくり体験」というブランドを取材しました。※笠利町(かさりちょう)

そこで対応してくださった大先輩は、米寿を迎えるとは思えない若さで「集落の人による集落のためのシマおこし」に全力を注がれています。

 

海岸の美化作業で流木を焼却しながら「これを使って塩を炊こう!」と考えたそうです。

ろ過するためのポンプ作りや井戸の復元も行い、最初の頃は、海に流れ着いたドラム缶で鍋をつくって塩を炊いたとのこと!

商品化する手間がかかるので、集落の人々に手伝ってもらい売上を還元していました。

(現在は機械化により簡素化)

 

さらに驚いたのは、成分を細かく勉強されて、余分な成分を「引き算」によって排除し、食塩に必要なものだけを調整していたことでした。

そのこだわりから、量産されていないとのことで、一応製造所のリンク貼っておきます!

www.masyu-yaduri.net

※アフィリではないですよ。

 

代表は「この歳になっても元気でいる秘訣は『挑戦』だ」と言っておられました。

元教諭。

「大先生!!」と呼びたくなる語りでした!

 

また、昨日取材したのは「宇宿(うしゅく)※笠利町」の「宇宿稲すり踊り」というブランド。

島唄が「男女がまだストレートに愛を表現できない時代、歌で愛のかけ引きを『会話』していたのが始まり」だと教わりました。

稲すり踊りは、古い時代(恐らく明治)から始まった文化。

当時奄美では「稲作」が行われており、豊作に感謝し、稲作の一部工程を女性たちによって、歌と踊りに取り込んだと言われています。

 

ここでも取材に対応してくださった「大先輩」も80代!

「ムンぬ知り果ては(←発音=わ)ねんど」という名言を教わりました。

 

ムンとは方言で、物事を指します。

※地域やニュアンスによって人を指す場合もあります

ねんども方言で、ありませんという意味。

つまり「物事を知り尽くすということはありえません」という言い伝えなんだそうです。

 

80代にもかかわらず「人生はずっと勉強」と言っておられました。

 

「伝統文化のことを知り尽くすことはできなかったが、生きているうちに自分達が知っていることは教えてあげられるから」

 このお気持ちに答えるべく、私も島の伝統文化について執筆→情報発信ができるライターになりたいです。

 

ご長寿の大先輩に学ぶ

今の子どもたちに伝統を継承したいが、集落の人口が少なくて難しい集落があるという現実。

集落に住む大先輩方は、少しでも集落を活性化させ、かつての元気を取り戻すため、一生懸命伝統文化保存に務めていらっしゃいます。

 

ちなみに奄美長寿の島とテレビで流れることがありますが、地元人は「結(ゆい)の島」と言っているんですよ。

先祖から代々、結の精神というものが受け継がれ、後世に語られてきました。 

 

塩づくりも、稲作も、さとうきび作りも、かつてはご近所同士数人が集まってみんなで助け合って行っていたそう。

「今日は〇〇さんの家の田んぼを」「明日は〇〇さん宅の畑を」という風に。

 

1人で作ると全部平等に植えるのが大変で、収穫にムラが出るそうですが、複数で行うことにより、収穫まで効率良くはかどったと言われています。

 

そこから生まれた「結の精神」。

 

現代では、近所でも「おすそ分け」をし合ったり、お祝いをみんなで祝ったりと、その精神を大事にしています。

 

ご長寿の大先輩のお話を伺うと、改めて結の精神を重んじ、伝統文化保存に最善を尽くしたい!

そう思いました。

 

それにしても奄美の先人たちは、日常を「歌」と「踊り」に変えて、みんなで盛り上がるのが大好きだったんですねー!

 

えっ・・・、パリピ

 

奄美んちゅは、どこかにパリピ要素があるんでしょうね。

「余興大好き人」が多い理由が分かりました。(笑)

 

というわけで、お節介や歌や踊りが大好きな民族が集結している奄美大島へ、ぜひ遊びに来てみませんか?

 

以上!

ブログで執筆練習をしながら、天職を追い求めている・・・
そんな主婦ライターのドラタケちゃんでした♪


今日もあなたとのご縁に尊尊我無
(トウトゥガナシ=感謝)★ミ

 

追伸:宇宿のお母さん、手作りスイーツ最高に美味しかったです!

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↑金柑の甘露煮

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↑あくまき(きなこ餅のような和菓子)